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白い花に会った後に・・・
- 2009/08/17(Mon) -
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                     甘泉寺の地蔵菩薩像の前に咲く槿
 清岳向山湿原で雨上がりの湿原の空気を味わいながら鷺草の白い花などをひとしきり眺め楽しみ・・・帰路に着こうと車を来た道に走らせていると・・・ふと路傍の 「甘泉寺のコウヤマキ」と「鳥居強右衛門の墓」という文字が二段書きされた看板に目が向いた。 戦国の歴史が好きな人なら 鳥居強右衛門 という名にそれなりに反応することだろう。。。 私もご多分に漏れずそうであり・・・帰路とは反対方向になる道へと車を向けた。。。

 ほどなく甘泉寺の駐車場に着いた。 その駐車場からすぐの所に寺へと続く石段があるのだが・・・まるで砦への入り口のような石造りの鳥居のような門をくぐってから内の寺域は・・・何か外界とは違う空気感を感じる。。。 それは・・・天を突くかのようにそびえる杉の大木が醸し出す雰囲気だろうか・・・?


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 どうも私は巨木に心奪われる・・・というよりある種の畏怖の念を感じてしまう。。。 それは・・・かつては山自体に、巨岩に、あるいは巨木に、神が宿ると考え、それら特別な存在を御神体として崇めてきた日本人の自然信仰的な心の動きが私の遺伝子にも伝えられており、時としてそんな畏怖心を感じさせるのか・・・?


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 杉の大木に背を預け・・・はるか頭上に伸びる幹を見上げる。。。 沈みゆく西日を浴びている先端の梢がそれはもうはるか彼方に見えること。。。


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 山門をくぐり境内に入る。 翔龍山甘泉寺・・・臨済宗永源寺派、禅宗のお寺だ。 山間のとても静かなお寺だ。 聴こえて来るのはヒグラシの鳴き声くらいだ。。。


 国指定の天然記念物のコウヤマキの威容が目に入る。。。 見るからに生きてきた長い年月を感じさせる木だ。


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 説明書きによれば、樹齢600年、樹高27m、根回り8m55cmとのこと。 コウヤマキは、一科一属一種の日本特産の常緑高木で・・・高野山では霊木とされている。


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 そのどっしりとした古木に守られるかのように・・・鳥居強右衛門の墓はある。


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 甲斐の武田信玄に圧迫されて武田に従っていた奥平家は、信玄の死去の後はかつて従っていた徳川家についていた。 家康から託された長篠城をわずか五百人余りの将兵で守備していた奥平貞昌は、天正三年五月、武田勝頼率いる武田軍に城を攻囲された。 信玄死すと言えども、彼の作り上げた戦国最強の騎馬軍団は健在であり、武田の勇名は天下に轟いていた。五月八日に開戦し、寡勢ながら武田の攻撃を防いでいた奥平勢ではあったが・・・戦闘中に兵糧庫を焼失したことにより、たちまちにして城内は食料にも困窮する厳しい事態に陥っていた。 岡崎城の主家家康に援軍を請いたいところではあるが・・・武田軍の包囲は十重二十重と厳重で城を抜け出す事すら容易ではない。

 奥平家の足軽身分の鳥居強右衛門が泳ぎが得意なことを見込まれ・・・十四日の夜、城の水口から出で、夜の闇に乗じて泳ぎに泳ぎ、潜りに潜り、武田の包囲網を抜け、翌朝、長篠城からも見える山から脱出成功を告げる烽火を上げ・・・今度は駆けに駆け、その日の内に岡崎城に着き援軍を願い出た。 実は・・・この時すでに岡崎城には織田信長が自ら率いる援軍が尾張から到着しており、間もなく織田・徳川連合軍は長篠城へ向けて出陣することが決していたのだ。 それを知り涙を流さんばかりに喜んだ強右衛門は、一刻も早く長篠城の同胞にこの吉報を知らせるために即日、長篠城へ向けて駆け出した。 翌十六日早朝、城抜け成功の烽火を上げたのと同じ山で烽火を上げ、更に詳しく援軍来援を知らせるべく入城を試みた。 のだが・・・運悪く武田軍の兵に捕らえられてしまった。。。

 強右衛門の弁から織田・徳川の援軍が向かっていることを知った武田勝頼は焦り、援軍が到着する前に長篠城を落とす必要性に迫られた。 また、援軍の発進を城内の者達が知れば、城内の士気は高まることは必定・・・城攻めがしにくくなる。 そこで勝頼は、強右衛門ももちろん落城後の城内の者達の助命をも確約するとして強右衛門に “援軍、来たらず” と城に向かって叫ぶように命じた。 そうすれば城兵は落胆し、城は落ちるだろうと勝頼は考えたのだ。 強右衛門は勝頼の命を承諾、長篠城から見通しの利く所へ連れて行かれた。 すでに死を覚悟していた強右衛門は勝頼を謀り・・・“三日のうちに織田・徳川の援軍が来るぞ!” と、援軍来援近しを城の者達に伝えたのだ。 城兵は大いに湧き・・・士気は一気に高まった。

 怒った勝頼は、強右衛門を磔にし、槍で突き殺してしまう。

 磔にされた強右衛門の忠義心に燃えた長篠城は援軍の来援まで持ちこたえた。。。

  天正三年五月十六日・・・忠義の士として後世にもその名を残す鳥居強右衛門の壮絶な死・・・その日からわずか五日後の五月二十一日、長篠に進軍してきた織田・徳川連合軍は設楽原にて武田軍と決戦となり・・・天下に恐れられた武田騎馬軍は織田軍の鉄砲隊を中心にした戦法の前に壊滅的な敗北を喫し・・・これを境に、武田家は滅亡への坂道を急落しはじめ、織田信長はその目を一層西・・・京へと向けていくことになる。

 尚、強右衛門の名は子孫に代々引き継がれ、奥平家の分家、奥平松平家の重臣として明治維新を迎えることになる。


 私は・・・戦国の数多の戦にまつわる話しの中でもこの鳥居強右衛門の話しはすこぶる好きな話しの一つだ。。。 だから 鳥居強右衛門の墓 という看板の文字を見つけた時 行ってみなきゃ! と即決した次第で。。。
 調べたら・・・もともと他にあった強右衛門の墓を子孫が遺骨ごとこの地に移したとの事。。。 隣にある強右衛門の墓石よりやや小さい強右衛門の妻の墓石が強右衛門の墓石より新しいのは・・・強右衛門をここに葬り直した後に他にあった妻の墓もここに移し、夫婦共に眠れるようにという・・・祖先の温かい配慮からか・・・などと想像もされる。。。

 この寺のコウヤマキは・・・強右衛門がここに移され葬られた時にもすでにここに根を張っていたわけで・・・静かに眠る強右衛門と妻の墓石をずっと見守り続けてきたことになる。。。

 鷺草の白い花を見たいと欲してやってきたこの地で、偶然にも戦国の世に忠義の士として名を馳せた鳥居強右衛門の墓前に導かれるという・・・なんだかちょっとした旅気分を味わえた日となった。。。


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コメント
- -

実は私、鳥居強右衛門の話を知らなくて^^;
大変面白く拝見させていただきました。
Seionさんならずとも 鷺草やコウヤマキだけでなく 戦国時代まで意識は馳せ 
3Dの旅を味わうことができました。
(人´∀`).☆.。.:*・ありがとう!
2009/08/17 21:34  | URL | なっち♪ #-[ 編集] |  ▲ top

- なっち♪さんへ -

鳥居強右衛門の無骨な生き様・・・なんとも好きな話しでね。。。
私の記した記事、面白く感じていただけたようで・・・嬉しいです。 (o^v^o)v

強右衛門の墓に・・・なんとなく何者かに導かれたような・・・そんな偶然のこのお寺の参拝でした!
2009/08/17 22:40  | URL | Haru.Seion #-[ 編集] |  ▲ top

- コウヤマキと槿 -

その対比は、互いを一層引きたてているようで。

そして…武士道ですね。。。

先日、目にした文章の中に 「義を見てせざるは勇なきなり」 とサラリと書かれているものがありました。 “義”を 義務 とか 義理 とかいう熟語にしてしまうと、本来の「正しい行い」いう意味が薄れて、別の言葉になっているような気がしますが… 「義を見てせざるは勇なきなり」 は文句無しの“義”。。。って、そりゃそうか。

2009/08/19 23:46  | URL | 待雪 #-[ 編集] |  ▲ top

- 待雪さんへ -

白い槿の静謐さとコウヤマキの重厚さの対比ですね。

戦国期はまだいわゆる武士道は成り立っていなかったと思いますが・・・下克上や弱肉強食が当たり前の混乱期であったからこそ 真の忠義者 は後世にも耀いて感じられますね!
2009/08/20 00:32  | URL | Haru.Seion #-[ 編集] |  ▲ top


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