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水際の彼岸花
- 2008/10/01(Wed) -
                202-1.jpg

         ごんぎつねの里として知られる矢勝川周辺の彼岸花(其の弐)
 昨日の記事の続き・・・

 ここ矢勝川の彼岸花は “川” “田んぼ” と、水とは切っても切れない光景の中で咲く。。。
 そもそも、彼岸花は根茎で増え、群生化すればその根茎が堤防の土の崩れを防ぐという理由で河川の堤防に植えられることが多いとも聞いたことがある。

 水際の彼岸花・・・なかなか風情があると思い、眺め撮る。


                202-2.jpg


 ここの彼岸花を観に訪れる人の中には、新美南吉の縁の地を訪ね歩くのを兼ねて歩きに来る人も多く・・・南吉の足跡を辿るマップやガイドブックを手にして歩いている人も多く見受けられる。。。

 その南吉の作品に 「狐」 という作品がある。 とても好きな話しだ。
 物語は、七人の子供が夜のお祭りを見に行くという設定で、その子供達が歩き行く姿に日本の原風景を感じられるような雰囲気があってとても好ましい。。。
 祭りへ行く途中で、子供たちの中の一人、文六ちゃんが下駄を買う。すると、どこかのお婆さんが「晩げに新しい下駄をおろすと狐がつくというだに。」と言う。。。 それが、私の大好きなこの物語の結末の文六ちゃんとそのお母さんとの会話へとつながっていく。。。


                202-3.jpg


(新美南吉「狐」のその最後の部分を原文そのままに・・・)

お父さんが樽屋さんの組合へいつて、今晩はまだ帰らないので、文六ちゃんとお母さんはさきに寝(やす)むことになりました。
 文六ちゃんは初等科三年生なのにまだお母さんといっしょに寝るのです。ひとり子ですからしかたないのです。
「さあ、お祭の話を、母ちゃんにきかしておくれ」
とお母さんは、文六ちゃんのねまきのえりを合わせてやりながらいいました。
 文六ちゃんは、学校から帰れば学校のことを、町にゆけば町のことを、映画を見てくれば映画のことをお母さんにきかれるのです。文六ちゃんは話が下手(へた)ですから、ちぎれちぎれに話をします。それでもお母さんは、とても面白がって、よろこんで文六ちゃんの話をきいてくれるのでした。
「神子(みこ)さんね、あれよく見たら、お多福湯のトネ子だったよ」
と文六ちゃんは話しました。
 お母さんは、そうかい、といって、面白そうに笑って、
「それから、もう誰が出たかわからなかったかい」
とききました。
 文六ちゃんはおもいだそうとするように、眼を大きく見ひらいて、じっとしていましたが、やがて、祭の話はやめて、こんなことをいいだしました。
「母ちゃん、夜、新しい下駄おろすと、狐につかれる?」
 お母さんは、文六ちゃんが何をいい出したかと思って、しばらく、あっけにとられて文六ちゃんの顔を見ていましたが、今晩、文六ちゃんの身の上に、おおよそどんなことが起ったか、けんとうがつきました。
「誰がそんなことをいった?」
 文六ちゃんはむきになって、じぶんのさきの問いをくりかえしました。
「ほんと?」
「嘘(うそ)だよ、そんなこと。昔の人がそんなことをいっただけだよ」
「嘘だね?」
「嘘だとも」
「きっとだね」
「きっと」
 しばらく文六ちゃんは黙っていました。黙っている間に、大きい眼玉が二度ぐるりぐるりとまわりました。それからいいました。
「もし、ほんとだったらどうする?」
「どうするって、何を?」
とお母さんがききかえしました。
「もし、僕が、ほんとに狐になっちゃったらどうする?」
 お母さんは、しんからおかしいように笑いだしました。
「ね、ね、ね」
と文六ちゃんは、ちょっとてれくさいような顔をして、お母さんの胸を両手でぐんぐん押しました。
「そうさね」と、お母さんはちょっと考えていてからいいました。「そしたら、もう、家におくわけにゃいかないね」
 文六ちゃんは、それをきくと、さびしい顔つきをしました。
「そしたら、どこへゆく?」
「鴉根山(からすねやま)の方にゆけば、今でも狐がいるそうだから、そっちへゆくさ」
「母ちゃんや父ちゃんはどうする?」
 するとお母さんは、大人(おとな)が子供をからかうときにするように、たいへんまじめな顔で、しかつべらしく、
「父ちゃんと母ちゃんは相談をしてね、かあいい文六が、狐になってしまったから、わしたちもこの世に何のたのしみもなくなってしまったで、人間をやめて、狐になることにきめますよ」
「父ちゃんも母ちゃんも狐になる?」
「そう、二人で、明日(あした)の晩げに下駄屋さんから新しい下駄を買って来て、いっしょに狐になるね。そうして、文六ちゃんの狐をつれて鴉根の方へゆきましょう」
 文六ちゃんは大きい眼をかがやかせて、
「鴉根って、西の方?」
「成岩(なるわ)から西南の方の山だよ」
「深い山?」
「松の木が生(は)えているところだよ」
「猟師はいない?」
「猟師って鉄砲打ちのことかい? 山の中だからいるかも知れんね」
「猟師が撃ちに来たら、母ちゃんどうしよう?」
「深い洞穴(ほらあな)の中にはいって三人で小さくなっていれば見つからないよ」
「でも、雪が降ると餌(えさ)がなくなるでしょう。餌を拾いに出たとき猟師の犬に見つかったらどうしよう」
「そしたら、いっしょうけんめい走って逃げましょう」
「でも、父ちゃんや母ちゃんは速いでいいけど、僕は子供の狐だもん、おくれてしまうもん」
「父ちゃんと母ちゃんが両方から手をひっぱってあげるよ」
「そんなことをしてるうちに、犬がすぐうしろに来たら?」
 お母さんはちょっと黙っていました。それから、ゆっくりいいました。もうしんからまじめな声でした。
「そしたら、母ちゃんは、びっこをひいてゆっくりいきましょう」
「どうして?」
「犬は母ちゃんに噛(か)みつくでしょう、そのうちに猟師が来て、母ちゃんをしばってゆくでしょう。その間に、坊やとお父ちゃんは逃げてしまうのだよ」
 文六ちゃんはびっくりしてお母さんの顔をまじまじと見ました。
「いやだよ、母ちゃん、そんなこと。そいじゃ、母ちゃんがなしになってしまうじゃないか」
「でも、そうするよりしようがないよ、母ちゃんはびっこをひきひきゆっくりゆくよ」
「いやだったら、母ちゃん。母ちゃんがなくなるじゃないか」
「でもそうするよりしようがないよ、母ちゃんは、びっこをひきひきゆっくりゆっくり……」
「いやだったら、いやだったら、いやだったら!」
 文六ちゃんはわめきたてながら、お母さんの胸にしがみつきました。涙がどっと流れて来ました。
 お母さんも、ねまきのそででこっそり眼のふちをふきました、そして文六ちゃんがはねとばした、小さい枕(まくら)を拾って、あたまの下にあてがってやりました。



                202-4.jpg


 何でだろうか・・・?
 この文六ちゃんとお母さんの会話の部分・・・何度読んでも・・・涙目になってしまう。。。 それはもう条件反射のように。。。
 (⌒▽⌒;
 幼くして生母を亡くした南吉にとっては、この文六ちゃんのお母さんのような母への憧れが終生あったのかもしれないね。。。

 失言で大臣をお辞めになった中山氏・・・道徳教育云々とも発言していらっしゃったが・・・道徳教育などと構えた言い方をしなくとも・・・この新美南吉や宮沢賢治など・・・子供達に小さいときから触れさせたい “日本の良き心” を感じさせる物語はたくさんあるし、そういう観点で教育のあり方も論じてもらいたいと念じて止まない。。。
 言うまでもなく、“道徳心”はとても大切なことだと思うが・・・“道徳教育”と言われると・・・どうも体制側にとって都合の良い偏った儒教的色合の強い教育が為されそうな気がして、なんだか胡散臭さを感じてしまうのは私だけだろうか・・・?


                       閑話休題・・・

 秋の休日・・・かつて南吉も眺めたであろうこの地の彼岸花が “紅い布” 状態咲くのを眺め歩いた。
 この時期にだけ紅く彩られる水辺と田園の光景に心癒される思いで・・・。



                202-5.jpg


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