映画も公開されましたし、今更ながら・・・とは思いましたが、昨夕、ふと書店で『人のセックスを笑うな』を買ってみた。
もともとインパクトのある書名だから、ハードカバーで書店に並んでいたときからタイトルは知っていたが、どうせ誰が投稿しているかわかんないSEXの体験談集みたいなもんだろうと思っていた。
永作博美 松山ケンイチ主演で映画化されて、はじめてそれなりの評価を受けた小説なんだと知った。
昨晩1時間半くらいで読んだ。ゆっくり読んでも2時間とはかからないだろう。
確かにそこそこ面白かった。
ペンネーム同様、山崎ナオラーコって著者の感性、キャラがきっと面白い人で、きっと周囲からは“不思議ちゃん”と思われる行動、言動もあるんだろうな〜と想像出来る。
女性である著者が男のオレとしてユリちゃんとの恋を語る、という形式の小説を男の私が男目線で読んでも“面白い”とクスッと笑ったり、頷いたりした表現があった。
ちょっとそんな表現のいくつかを抜書き。
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*女の子は人を支えたりはしない。気持ちがすぐ変わる。思っていないことを言う。そのくせ「察して」って言うのだ。
*セックスというのは想像上のものだ。触っているから気持ち良いのではなく、触っていると考えるから気持ち良いのだ。
*オレは可愛い女の子が好きだと思っていた。例えば自分には顔の好みがあると思っていた。昔の加賀まりこのような・・・(中略)・・・ユリはまったくそんな顔をしていない。目は一重で。顔は丸顔。唇はいつもカサカサ。体には肉が付きすぎている。疲れた顔をしていることも多い。
しかし恋してみると、形に好みなどないことがわかる。好きになると、その形に心が食い込む。そういうことだ。オレのファンタジーにぴったりな形があるわけではない。そこにある形に、オレ心が食い込むのだ。
あのゆがみ具合がたまらない。忘れられない。
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と、まぁ、男の私からしてもなかなか面白い表現がされている。
もちろん男の、そして主役のオレより二十数歳年上の私からすれば “男の性(SEX)はそんなに単純なもんでもないですがね〜”っと言いたいところではある。
が・・・私とてオレと同年代の頃は、もっと単純な性であったろうと思われるし、それなりに・・・オレ世代の頃より量、質共に積み重ね、奥行きも幅も知り、自意識上のノーマルと思われる領域が当時はアブと思っていた領域にまで食い込んでいるとも思われる“今の私”が軽々に“もっと複雑なんだよ”と言ってしまうのはフェアではないと思う。
でも・・・経験によって知り得ることは実に多いが、そのために確かに失っていくものもある。とは痛感した。
ただ・・・オレとユリの最後のSEXのシーンについては、もう少しオレの戸惑いや、顕在、潜在は別として、ボクの心の中にある恋の崩壊過程の寂寥感をもう少し書いて欲しかったと思ったりした。
とはいえ・・・思ったより、ずっとずっと読後感は(不思議な)爽やかさを感じられた。
映画のユリちゃん役の永作ちゃんのキャスティングはバッチリだと思う。
ただ、ユリちゃんと蒼井優演じるえんちゃんは、原作よりもう少し意思表示をする女性に描かれているように・・・映画の予告編を観て感じた。
個人的には、原作のえんちゃんに興味があって・・・えんちゃん中軸のスピンアウト・ストーリーを書いてくれないかなぁ〜と思ったりした。
読んでいる間・・・概して楽しい1時間半だった。そんな『人のセックスを笑うな』の話し。
あっ、書名の『人のセックスを笑うな』は、オレが読者の私達に自分とユリちゃんとの恋を語るってシチュエーションで考えれば・・・“だから〜オレのセックスがどうのこうのって笑うなよな!”ってことになりそうだな・・・・ってことでのネーミングと解釈した。
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