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女城主の町を歩く(後)
- 2008/07/23(Wed) -
                  138-0.jpg

                  岩村の町の外をめぐる・・・
昨日の記事の続きです。


昼食後、車に乗り込み、一旦岩村の町を出る。
岩村は古い街並みだけでなく、まだまだ見所があるところだ。

まず向かったのは・・・“農村景観日本一地区”とされた景観が眺められる場所。
写真の展望台(↓)から、その景色が眺められるらしい。

                  138-2.jpg

急な階段を登って展望台に。。。
すると、夏の青空の下、瑞々しい緑の水田が広がる農村の光景が広がっている。

                  138-1.jpg
               (パノラマ写真を作ってみました)

確かに美しい景観ではあるが・・・誰が?何故?日本一だなんて決めたの?
と、思っていたら、ちゃんと説明書きがあった。
それによると・・・

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この農村景観の特徴は、東から西に少し傾斜した穏やかな岩村盆地の中に、瓦と白壁の昔ながらの農家や土蔵が点在する農村景観が展開し、回りは盆地を形成する緑の低い丘や遠く三河・尾張と境を接する山々が二重・三重に連なって、この景観を一層引立てている点にあります。ここの眼下に広がる田園は、総面積約150haあり、岩村町の約半分を見ることが出来ます。「農村景観日本一」の称号は、平成元年に全国の環境問題を専門に研究している、京都教育大学・木村教授から頂き、マスコミが一斉に報道し一躍脚光を浴びたものです。ここに佇めば、春夏秋冬・朝な夕な・日本が戦後失ってしまった「心のふるさと」、そして古代・仁徳天皇が見た“カマドの煙”の景色をも彷彿と感じとることが出来ます。・・・美しい日本、この景観をぜひご覧下さい。
 また、この景観は「第7回日本のむら景観コンテスト」の集落部門で農林水産大臣賞(最高賞)を受賞しています。

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・・・と、いうことのようだ。
私が想像するに、京都教育大の先生がそう認定された時には、もう少し民家が少なかったのではないかと思う。
とはいえ、のどかな農村風景には心和み、視界が広がっているので、空を往く雲の影が田んぼの中を移動していくのも一望できるのは、目が、心が、涼しくなる思い。
この展望台に吹いてくる風がとても心地良く・・・しばし昼寝したいくらいだった。。。
この農村の光景、この時期の青田風景も素晴らしいが、稲穂が垂れ収穫間近で田んぼが黄金色に耀く秋の光景も素晴らしいだろうと思う。。。
今度は秋に来てみたいもんだと思ったりした。

癒し効果抜群の展望台を後にして・・・阿木川ダム湖畔沿いの快適な道を走って、牧場を目指す。

阿木川ダム湖もなかなか大きい湖で・・・こんな(↓)感じの道路を走っていく。

                  138-3.jpg

んっ?何か変わったモノが湖面にあるぞ。。。上の写真の中央下部にご注目!
ズームで寄ってみると・・・

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な~んだ。。。湖面に着水したUFOとあまりの暑さに水浴びする火星人か~ (笑)

などとおバカなことを言い合いながらドライブし、湖沿いの道路からはずれ、坂道をグングン登る。
やがて、阿木川ダム湖をはるかに見下ろす高さにまで登ってきた頃、東濃牧場の敷地に入る。

                  138-5.jpg

さすがにこれだけ高い所に来ると、風がとても心地良い。
牧草地が広がっていて、空が広くて気持ちの良い光景が広がっている。

 138-6.jpg  138-7.jpg  138-8.jpg

柵の中に山羊が放し飼いにされていて、草をやると喜んで食べてくれる。
私達は、もっぱら「ハイジ」に出てきたユキちゃんがちょっと大きくなったような子山羊と遊んだ。

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牧場といえば・・・やっぱりソフトクリーム!
濃厚で美味しいソフトクリームをみんな食べてたし、私達も。。。(笑)

下の(↓)の写真の女性達が心地良い風を味わっている、この小山の頂上でソフトクリーム食べた。

                  138-91.jpg

牧場の敷地内を歩いている最中に、野生のユリを見つけた。。。

                    138-92.jpg

山羊や牛に食べられないといいけど・・・。
って、花は食べないか??? (笑)

ひとしきり高原気分の牧場の風と風景を楽しんでから山を下って、岩村の町方面へ。。。
岩村の町のはずれの山の上にある岩村城址に向かう。
この城こそが岩村が “女城主の里” と呼ばれる由縁となった城。

岩村城の紹介を岩村観光協会の文章を引用して・・・

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岩村城は、大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城です。城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高721m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」ともよばれています。
 この城が名城と言われる由縁は、単にその規模と大きさだけでなく、その永い歴史に由来しています。1185年(文治元年)源頼朝の重臣「加藤景廉(かとうかげかど)」がこの地の地頭に補せられ創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間に亙り城と城主が連綿と続き、明治に至り廃城令で廃城されるまで、連綿と存続しました。
 700年間に及ぶ城の歴史は、日本の城史にも例を見ないものなのです。

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確かに・・・現在は、石垣だけが残っているが、この山の上で、しかもこの石垣で守られていたら・・・攻め手にすればなかなか厄介な城であったろうと想像できる。。。

                  138-94.jpg

本丸の建っていた場所に城址の看板が建てられている。。。

                  138-95.jpg

本丸辺りは繁った木々の陰となり、風がとても爽やかに吹き抜けていた。。。
かつて、この城を、この岩村を守ろうと身を挺して実質的な城主となった女性がいた・・・。
その説明も観光協会の文章が簡潔でわかりやすいので引用する・・・


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天正元年、武田信玄に仕えた秋山信友が、城主遠山景任を亡くし未亡人となっていた修理夫人(女城主)が織田信長の五男御坊丸を養子として守っていた岩村城を攻撃しました。岩村城がなかなか陥落しそうもない為、秋山はひそかに計を巡らし、密使を城中に送り、

 “結婚して無事に城を明渡し、御坊丸を養子として家督を譲ることとしてはどうか”

とひそかに夫人を説得し、夫人も到底最後まで城を守ることが出来ないと悟り、この提案を承諾しました。(家臣や領民を守ることの引き換えに政略結婚の道を選んだのです) しかし、信友は信長の叔母と結婚した事を信玄に嫌われるのを悟り、御坊丸を甲府に人質として送ってしまいました。時に御坊丸は七歳でした。
 これを聞いた信長は大いに怒りましたが、その頃は武田の勢が強く、かつ近畿攻略に追われていたので、そのまま放任せざるをえませんでした。したし、織田信長は、岩村城を秋山信友に奪われたのを無念とし、その周辺の小城に加勢を送り、ひそかに岩村城の奪還の期をうかがっていたのです。
 天正3年3月、長篠の戦に武田勝頼の軍が敗戦したことにより、武田と織田の勢力の均衡が逆転。信長はこの機を逸せず、同年6月、岩村城を攻略すべく嫡子信忠を大将とする軍勢を岩村城攻略に送り込みました。信忠の大軍は数日間激しく攻め立てましたが、岩村城兵も命を惜しまず防戦した為、容易に攻略はならず、信忠は戦法を変更し持久戦をとりました。こうして6月から10月に至るまで数ヶ月の時が経ってしまいました。さすがに城中も次第に糧が乏しくなり、兵卒も疲れをみせはじめ、武田の応援も無くなり、ついに岩村城は陥落してしまいました。
 信長は、秋山信友をはじめ修理夫人(御坊丸を人質としたことを憎まれていた)らを岩村城外の大将陣において、逆磔(さかさはりつけ)にして殺した。この時夫人は、声をあげて泣き悲しみ、

「我れ女の弱さの為にかくなりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかならずや因果の報いを受けん」

と絶叫しつつ果てたという。
 織田信長が本能寺で殺されるのはその七年後のことです。

※岩村町では、屈辱的な政略結婚の道を選びながらも、家臣・領民を守った心優しい“女城主”に注目し、女性の優しさや柔らかさなどをまちづくりに取り込もうと「女城主の里づくり」をキャッチフレーズとしてまちづくりに取り組んでいます。

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壮絶な話しだ。。。
夫が亡くなり、攻められれば城と共に落命する道を選ぶことも出来たはず。
しかし、亡き夫の領地を城を領民を守るため、身を挺して敵将の妻となる。。。
あるいは、身内ゆえ信長と談判し、武田との橋渡しも出来るやも知れぬ・・・と考えたかもしれない。
が・・・裏切り行為は何年経っても決して忘れはしないし、許さない信長が相手となれば、身内の情も通じなかった。。。
信長の怒りも納得は出来る。。。
良かれと思い継子とした我が子を、人質として差し出されてしまったのだから・・・。
時は戦国・・・たとえ親族とはいえ、このような悲劇は全国で枚挙に暇が無い。。。
だが、その後、信長の小姓として有名な森蘭丸はじめ、明治に至るまで数々の人達が城主をつとめたにもかかわらず、この町の人達の心の中に 女城主 として、その徳が息づいているには、それなりの理由があるように思えてならない。。。

戦国の動乱期にうねりに翻弄された女性が住まった城・・・。
その跡からは、西日を反射する岩村の街並みの甍の並びがとてもよく見えていた。

岩村・・・今回は夏に訪れたが・・・今度は紅葉の時期にも来てみたいと、心誘われる地だ。。。

                  138-96.jpg





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コメント
- そっか~ -

信長が叔母様の命を奪ったことは
何かで読んだけど、この地の女性の
ことだったのか~。

なんでも、美人だったそうですよ(^^)

2008/07/23 01:54  | URL | Bloom #-[ 編集] |  ▲ top

- -

はなさんも、画像とともに旅気分味わいましたよー。
 お帰りなさい~です☆
日本はいい国だなーとつくづく・・・
がんがら餅、鉄火丼(すきっ腹に染みた・・)

死ぬより生きる方が勇気がいる!
それなのに落命せず生き残り、世を全うする強さ。
今放映の篤姫を思いました。
実はうち、篤姫の国なんです(笑
先日もゆかりの地を旅しました。

あの風が庭に入る坪庭がたならなく好き。
いかにも日本らしい贅沢な文化ですね・・

無駄なように思える小細工ほどこして、たくさんの
趣を手に入れてますよね。庭師とか尊敬してしまいます。

個人的には「ハイジ」大ファンにとって・・
  「ユキ」ちゃーん!きゃわ♪
2008/07/23 12:33  | URL | はな #ek.3C4W2[ 編集] |  ▲ top

- Bloomさんへ -

戦国時代には、身内同士のの悲しい話しは多いですが・・・
特に信長は、身内との軋轢と悲劇が多いよね。。。
そんなことも本能寺での非業の死につながっているような気がしてならないです。。。
2008/07/23 13:05  | URL | Haru.Seion #-[ 編集] |  ▲ top

- はなさんへ -

おぉ。。。篤姫の国!
私も結構、篤姫観てますよ!
今後は和宮が大奥にやってきて、京風をひけらかす人達との争いですね~

私んとこは、信長、秀吉、家康の三英傑を生んだ地です!

坪庭から入った風が、一直線に裏の坪庭に通っていく“風の通り道”を家の中に作った造り・・・いいですよね。。。
奥に見えている座敷で昼寝したら、さぞや気持ちいいだろうなぁ~と思って。
日本家屋のそういう工夫っていいですよね!(⌒_⌒)
2008/07/23 13:12  | URL | Haru.Seion #-[ 編集] |  ▲ top


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