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釈迦の心が寂聴さんの柔らかな言葉で伝えられる
- 2008/06/20(Fri) -

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              『いま、釈迦のことば』 瀬戸内寂聴 著
先日記事を書いたサティシュ・クマールの著書 『もう殺さない-ブッダとテロリスト』 (2008/06/17の記事) に続いて、釈迦の思想についての本を読んだ。

瀬戸内寂聴さんが釈迦の様々な言葉を平易に解釈して聞かせてくれるようで、とても読みやすい。
クマールがテロリストとして描いた殺人者アングリマーラの話しも収められている。
アングリマーラの出自については、インドでも様々な説があり、クマールはアングリマーラをカーストのそのまた下の不可触民(言葉は悪いが、最下層の非民層)の出とした。
アングリマーラが殺人者に陥った一因に、カーストによる身分制度上の差別を挙げる意図があったから。
一方、寂聴さんはカーストの最高位バラモンの貴族系の出身とした。
アングリーマーラはきわめて素直なお坊ちゃまだったように描かれ、男女間の愛情問題、それに起因する嫉妬によってアングリマーラは殺人者に仕立て上げられたことを描いているがため。

釈迦との出会いでアングリマーラが覚醒し、懺悔していく流れは共通している。
一つの逸話が視点を変えることによって、起因する問題の掘り下げ方も違ってくる好例で・・・その比較、それはそれで興味深く読めた。

                    101-3.jpg

さて、瀬戸内寂聴さん・・・その講話はTVなどで聴いたことがある。
笑いを誘う軽妙さ、時に優しく、時に厳しく・・・その語り口は絶妙で、ついつい聴き入ってしまう。

しかし・・・数冊のお寺を巡礼した本などは、そのお寺のことを知りたかったりして読んだことがあるが、出家前の瀬戸内晴美時代も含めて小説は未だに読んだことがない。
実は、寂聴さんには若干の 違和感 のようなものを感じていた。
それは、寂聴さんの奔放な恋愛遍歴に関係がある。
結婚して子供をもうけてしばらくの間までは、貞淑な妻、良妻賢母で過ごした晴美さん。
その晴美さんが夫の教え子である年下の男性と恋に落ち・・・夫と子供を捨てて家を出て、その男の元に走る。
そこから晴美さんの情念・愛欲に火が点き、二人の男と同時につき合ったり、妻子ある男性とまるで通い婚のような恋愛形態をとったりと・・・同世代の女性としては奔放な性であったといえる。

その遍歴について違和感を感じるのではない。全くもって!(笑)
むしろ、女性にとっては、今では考えられないほど閉鎖的であった時代に、それだけ 女の情念 を奔放に曝け出し得た生き方に興味すら覚える。

私にとっての違和感は・・・今東光和尚(この方は、この方でまた破天荒な生き方をされた名?怪?僧なのだが・・・)の指導で天台で得度して 晴美 から 寂聴 になってからのこと・・・。

自らは、夫、あろうことか子供すら捨てて男の元に走ったような愛欲に身を任せたような経験を持ちつつ、出家したからといって・・・今度は愛欲を禁ずる立場に身を置き、そのような説法をしたりするのかな・・・と。
要は、自分は若い時にさんざん思い通りにしてきたのに・・・立場が変われば???
って、意味での違和感があったことは事実。

が・・・それは勿論、私の“食わず嫌い”であり、寂聴さんの考えにたいして触れもしないで勝手に感じていた違和感でしかない。
今となっては自らの 不明の恥 を晒すような勝手な感情。

本書でも、寂聴さんは釈迦がとなえる・・・男女の性を伴った愛欲(仏教では「渇愛」と言う)の恐ろしさを回避するがために 愛する人をつくるのはやめなさい という教えにも物申している。

本文より・・・

“・・・お釈迦さまに言葉を返すつもりはありませんが、私は、傷ついても、苦しんでも、この世に生まれて、まったく一人も愛さず恋をしたことのない生涯なんてつまらないと思います。 愛に傷ついて、苦しんでのたうち廻っても、真剣に人を愛したことによって、人は心が練られ、人間味が深まるのです。
自分の受けた愛の苦しみから、愛に悩み、苦しんでいる他の人の気持ちを思いやれる想像力が生まれるのです。・・・”


実に小気味良く、ストンッ と心に落ちてくる考え方だ。
“つまらない”とまで言い切っていて、思わず ウン!ウン! と頷きたくもなる。

私は・・・自分が経験もしていないことについて・・・知ったかぶり・・・したり顔・・・で話す人は嫌いだし、そういう人の言葉は耳の右から左の耳へと サラサラ~ と、清流の流れのように聞き流す。
私は、時に話している相手に・・・“そういう体験をいつなさったのですか?”と意図的に問いかけたりする。
自身の経験も無しに、聞きかじりや勝手な合点で、話している人の話しには、結局は深みが無いから・・・ついついそう聞きたくなる意地の悪い性格が首をもたげる(笑)

自身の経験から語る人は・・・言葉数も多くなくとも説得力があるし、あり難いアドバイスにはなっても決して説教にはならない。
が、聞きかじり、知ったかぶりの未経験氏・・・そういう類の人の話は・・・概して説教化する。
しかもくどい!(笑)
私は・・・“これしかないよ!”とか“こうあるべき!”と・・・自らの考えを他の大勢の人にもさもあてはまるんだよ。。。口調の話し、論調が基本的に好きではないし・・・年齢にかかわらず、そういう説教口調の話しになっていく人を“頭の固い爺様のような・・・”と思えて仕方が無い。(爆)

そういう意味で・・・寂聴さんの語る渇愛の恐ろしさは、説得力があるといえる。
釈迦にしても小国とはいえ、領地を統括する名家の出で、生まれてすぐ実母を亡くした寂しさを紛らすため、若い時から側に女性が侍っていたであろうと寂聴さんは想像し・・・子供を産んだばかりの妻を残して出奔した釈迦であればこそ、渇愛の怖さを経験的に知っていたはずだと論ずる。。。

釈迦の言葉の数々を寂聴さんにわかり易く話してもらっているような感覚にもなれたし・・・その寂聴さん自身の持つ魅力にもこれまで以上に気付かされた一冊となった。。。

そのうち寂聴さんの小説を読んでみようかと思ったりもしている・・・。

かつては、その官能さ故に 「子宮小説」 と揶揄された、晴美さん時代の初期作品から・・・にすべきか?(笑)
しかし・・・誰が言い始めたかわかんないが・・・人の書いた作品を腐すのに よりにもよって 「子宮小説」 だなんて・・・著者本人に対して以上に全女性に対して失礼だし、そんな命名をしてしまう感性も、それを面白がって吹聴する感性も人の小説を論ずる資格も無い 下衆 な感性だと言わざるを得ない。。。


一般的には、多分にストイックで・・・生きていくうえでこの世は苦しいことばかり・・・という釈迦の基本的な考え方が浸透してはいるが・・・
本書の最終章に寂聴さんが(間違いなく意図的に)持って来た釈迦の言葉は・・・ただ、ただ素敵だ。

                『この世は美しい。
                    人の命は甘美なものだ。』


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コメント
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言葉って難しいな…とブログをはじめて、コメントを書いて
今更ながら思っています。

男女間のことならSeionさんには敵わなくとも(笑)経験から語れることはあるのですけど・・・(*^m^*)


母が寂聴さんの崇拝者です。
私も読んでみようかな。
2008/06/22 22:12  | URL | モカ #-[ 編集] |  ▲ top

- モカさんへ -

聞きたいなあぁ。。。
モカさんの“経験的、男と女の話し”!(*^・^)
是非是非、語ってくださいませませ~
私も・・・男女間のこと、お勉強させていただきたく!(V^-°

時には、寂聴さんの柔らかな言葉で仏教の教えに触れるのも良いと思うですよ(⌒_⌒)
2008/06/23 12:26  | URL | Haru.Seion #-[ 編集] |  ▲ top


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