私、坂本竜馬が好きだ。
高校生時代に読んだ司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』の影響。
幕末の時代では、高杉晋作と並んで好きな人物。
その竜馬の妻、おりょうの写真について、今日面白いニュースが流れた。***************************************************
【若い日の「お龍さん」写真は本物?警察庁科警研が鑑定】
5月15日14時46分配信 読売新聞
若き日のお龍と見られる写真(井桜直美氏所蔵)
歴史研究者の間で真偽論争が起きている坂本龍馬の妻、お龍(りょう)(1841〜1906年)の若いころとみられる写真(井桜直美氏所蔵)について、警察庁の科学警察研究所(千葉県柏市)が、唯一本人と確認されている60歳ごろの写真(神奈川県・信楽寺所蔵)と比較し、「同一人物の可能性がある」との鑑定結果を出した。
鑑定を依頼した高知県立坂本龍馬記念館が15日発表した。
写真は、いすに座った30歳前後の女性。幕末維新の人物を集めた写真集に掲載されていたのを京都国立博物館の宮川禎一・考古室長が2001年に見つけた。
研究者の間では、お龍が写真撮影を嫌っていたとされることから“お龍説”を否定する意見があり、龍馬記念館が今年1月、写真鑑定設備や技術がある科警研に依頼、2枚の写真を比較してもらった。
龍馬記念館によると、顔の輪郭や目、鼻、口など7項目に分類して鑑定。目、鼻、口の位置や輪郭、鼻の下の長さ、下唇とあごの間の隆起などに整合性が認められ、「別人であることを本質的に示す根拠はない」と結論づけられたという。
龍馬記念館の森健志郎館長は「お龍説が一歩前進したことになり、貴重な結果だ」と話している。
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警察庁科警研もなかなか面白い鑑定を引き受けたものだ。
竜馬とおりょうといえば・・・寺田屋。 
(数年前に寺田屋を訪れた際の写真・・・修学旅行生、記念撮影中・・笑)
全国の竜馬ファンが訪れ、竜馬縁の品も展示されている。
慶応2年1月23日、竜馬はおりょうをあずけている寺田屋に泊まっていた。
二日前には、竜馬の宿願だった薩長同盟を成立させ、いよいよ日本の“大掃除”の時がやってきたと内心期するところ大なる時期であったことだろう。
その薩長同盟を佐幕派は面白く思うはずもなく、その立役者である竜馬はますます命を狙われる立場となった。
その竜馬が泊まっている寺田屋を伏見奉行配下の捕り方が竜馬を捕縛(暗殺が前提であったかもしれないが)するべく取り囲んだ。
たまたま一階のお風呂に入っていたおりょうは、その気配を察知するやいなや・・・着物を羽織っただけのほとんど裸の姿で二階にいる竜馬と護衛の長州藩支藩の長府藩士、三吉慎蔵にその急を知らせた。
おりょうの半裸階段駆け上がりの甲斐あって、竜馬は負傷したものの薩摩藩に匿われて難を逃れた。
おりょうが裸で駆け上がったと言われる階段・・・。

だが、しかし・・・実際の寺田屋は鳥羽伏見の戦で焼失。
実は、現在の建物はその焼失地の隣地に再建されたもの・・・。
だが、それはそれとして・・・私自身はこの階段をこの目で見た時、羽織った着物をヒラヒラさせ、ほとんど裸で愛する男を護るために駆け上がっていくおりょうの姿を想像すべく、しばし階段を見上げていた。
その後、薩摩藩邸に匿われていた竜馬・・・
西郷は、身の安全を図るため、しばらく薩摩の山の中にでも隠れたらと竜馬に提案した。
そこで竜馬は、聞きかじっていた西洋のある風習を はた と思い出した。
そして・・・おりょうに言った。
「縁結びの物見遊山だぜ」と・・・。
竜馬とおりょう、この二人の薩摩行が、日本初の新婚旅行だと言われている。
竜馬亡き後のおりょう・・・竜馬の実家に行ったり、竜馬の知り合いを頼ったりした後、再婚もしたが・・・決して幸せな余生だったとは言えない様だ。
晩年には “本当に優しくしてくれたのは西郷さんだけ” と語ることもあったよう。
西郷の名が出るあたり・・・おりょうにとってはこの薩摩藩の厚意の竜馬との旅が人生最高の時だったのかもしれない・・・。
そんなこともチラリと考えながら・・・若き日のおりょうさんの写真である、と警察庁科警研のお墨付きを得た画像を眺めていた・・・。
きっと、竜馬とのツーショット画像などなかったであろう、おりょうさんのために・・・
私が二人のツーショットを仮想ながら叶えてみました(笑)

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