|
桔梗、その花にまつわる話し(その弐)
|
|
- 2008/07/05(Sat) -
|
|
さて・・・昨晩に続いて 桔梗夜話 にございます(笑)
桔梗の家紋を持った、歴史上の人物で特筆すべき男が二人いる。 どちらも、歴史が大きく転換するターニングポイントに大きな役割を果たした・・・。 日本史上、最も高名な反逆者・・・明智光秀と日本史上、最も人気のある坂本竜馬・・・だ。 二人とも桔梗の家紋を背負って生きた。 ![]() 明智光秀の桔梗紋 竜馬の坂本家の組合角に桔梗紋 この両者の桔梗紋には由縁ありとの説があるのだ・・・。 ![]() 明智光秀・・・言わずと知れた・・・本能寺にて織田信長を討ちし者。。。 その光秀の従兄弟に明智左馬之助がいる。 その明智左馬之助・・・本能寺に信長を討って11日後、光秀が中国大返しで畿内に戻った秀吉に山崎で破れた時、信長の居城・安土城を攻めていたが、光秀の敗戦を知り、急いで坂本城へ引き返す途中、打出浜より路を湖水に求め愛馬にまたがり琵琶湖を渡り、明智の本拠地である坂本に帰った。 (この湖水渡りの勇姿は現在にも語り継がれる勇壮な逸話) が・・・時すでに遅く、坂本城は秀吉の軍勢に囲まれ、光秀の妻子らと共に、城もろとも落命した。。。 のであるが・・・ その明智左馬之助の妾腹の子である太郎五郎が、坂本城落城寸前に城落ちし・・・助かった。 その後、土佐に逃れ、坂本城の地名、坂本姓を名乗って帰農した後に四代目が酒造業に転じた。 やがて家業によって得た財によって士分を買い取り、町人郷士となった。 頷ける点もある。。。 坂本城落城当時・・・明智光秀の妹が母である斉藤利三の妹は、当時土佐を治めていた長宗我部元親の妻となっていた。。。 その坂本家では、代々自らの家系が明智左馬之助の血筋だと自認していたようだ。 やがて・・・その坂本家に幕末維新に大きな役割を果たすことになる竜馬が生まれる・・・。 と、いう・・・まことしやかに語られる説がある。。。 ![]() 一冊の本がある。。。高校生の私が読んで、歴史の観方を転換させられた一冊だ。 ![]() 『産霊山秘録 』 半村 良 著 本書で半村さんは・・・坂本城から逃れた太郎五郎とは明智光秀の長男であるとした。 日本古来から日本の国の在り方、バランスをとるべく暗躍する ヒ一族 なる者達が、歴史の影で暗躍してきてきていた。。。 明智光秀もその一族の者で・・・それが故に織田信長を討つことになった。 確かに・・・このプロットには、今の私でも納得させられる。 日本史上、天皇家が絶える絶対的な危険性があったのは二度あった・・・と。私も思っている。 一つは、言うまでも無く先の大戦で敗戦国となり、マッカーサーが日本に乗り込んできたとき。 もう一つは・・・ 根本的に無神論者であったが故に・・・“ならば、我を神と呼べ”とまで言ったと言われる信長があのまま生きていたとしたら・・・その危険性は大いにあったと思う。 皇室を滅ぼそうと考え、それだけのことを実行できる野望と軍力と胆力を持ち合わせる可能性があったのは、信長が唯一の人物であったと思う。 だから・・・ 半村さんが明智光秀を ヒ一族 としたのにも合点させられてしまった。 坂本城を落ちた光秀の嫡男、太郎五郎はやはり一族につながる山内一豊の妻、千代によって密かに養育され・・・やがて、山内家が国替えによって土佐に赴くのに付きしたがって土佐に入り。。。 やがて、その太郎五郎の子孫の坂本家に竜馬が生まれ・・・幕府から皇室に実権を移すことに奔走する。。。 ![]() 半村さんは『戦国自衛隊』の著者で有名だが・・・私が好きな、この『産霊山秘録』や『石の血脈』、『妖星伝』などは、話しのスケールが大きすぎてなかなか映画になど出来るものではないと思う(笑) この『産霊山秘録』で・・・所謂、学校の授業などで教えてもらう歴史も、違った方向から見つめれば、違った観点、違った立場の歴史がわんさかあるだろうな〜と考えるようになった。。。 そういう意味で、とても影響された本。 高校時代の夏休みの課題の読書感想文に・・・こんなSFチックな本で・・・どうかなぁ〜? とは思ったが、この本でも感想文を書いて提出した。。。 のだが・・・その感想文を読んだ当時、担当だった現国の先生が・・・すこぶる変わり者で・・・こともあろうか、半村良の大ファンで・・・それ以来・・・“これ読め” “今度はこれだ” と・・・どんどん半村良さんの本を押し付けるように貸してくれて・・・私もすっかり半村良のファンにされた・・・(汗) そのおかげで・・・私はすっかりその先生の“お気に入り”になったようで・・・現国のテストの点数は・・・かなり良かった! 数学とかとは違って、国語なんて、採点に教師の主観が入りやすい科目だし・・・(笑) その先生・・・ホントに変わった人で・・・それから数年後、教師を辞めて、仲間と共に理想郷的な村を作ると言って何処かの山に行ったという噂を後輩から聞いた。。。 “あぁ〜あの人なら有り得るかも・・・”と、妙に納得したことを覚えてる。 しかし・・・そんな変わった教師に気に入られた私って・・・(汗) 話しがそれた。。。閑話休題・・・。 と、いうわけで・・桔梗の花は、私にとっては、桔梗の紋を背負った明智光秀と大好きな坂本竜馬を結びつける、ある意味 “隠された歴史” に思いを馳せさせてくれる花だ・・・。 そんな私の 雑感 などとは全く無関係に・・・今年もいろんな所で品の良い白い花、青紫の花を咲かせて目を楽しませてくれる桔梗の花が・・・梅雨明けと夏本番の到来の近さを告げてくれているようだ。。。 と、なんとか桔梗に話しを戻したところで・・・桔梗夜話・・・これにてお開きとさせていただきとう存じます。。。(笑) ![]() **この記事に何か感じるところがございましたらクリックいただければ幸いです**
|
|
無限大(∞)パワーでお祓いを!
|
|
- 2008/06/30(Mon) -
|
|
早いもので、今日は6月30日。。。夏越しの大祓えの日。。。 大祓えとは・・・ 知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢を祓い清めるための神事を「大祓」といい、 毎年6月と12月の2回、その月の末日に行います。 6月の大祓を「夏越しの大祓」、12月の大祓を「年越しの大祓」ともいう。 平安時代から行われてきた神事。 大祓えには「形代(かたしろ)」(撫物(なでもの)ともいい、紙を人の形に切り抜いたもの・・・安倍晴明も使ってましたよね・・・笑)に、名前と年齢を書き、さらにその形代で身体を撫でて、三度息を吹きかける。 そうすることにより、自分の罪穢を移し、それを海や川などに流しわが身の代わりに清めてもらう。 また、疫病や罪穢を祓う「茅の輪くぐり」も各地の神社で行われる。 この「茅の輪くぐり」の由来は・・・ 武塔神(むとうのかみ)が南海路へ向かわれる旅の途中、道に迷われ・・・裕福な家庭を持つ巨旦将来(こたんしょうらい)に一夜の宿を乞われた。 が、巨旦将来は、にべもなく断ってしまいました。 一方、巨旦将来の兄にあたる蘇民将来は、貧しいながらも武塔神を暖かく迎え入れ心を込めてもてなしました。 武塔神は大変喜ばれ、「疫禍あれば茅の輪を作り門に懸けよ」と仰せられた。 その後、疫病が盛んに流行ったので、蘇民将来は教えられたとおりに茅の輪を揚げた。 すると、疫病は蘇民将来の家を避けて行き、一家は災厄から逃れることができた。 こうして、蘇民将来の一族は護られ、彼の子孫は後々まで大いに栄えたとい。 ちなみに、巨旦将来の子孫は皆、絶えてしまったそうだ。 この武塔神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)であったといわれる。 この故事に習い、茅の輪をくぐり穢れを祓い、病にならぬようの茅の輪をくぐるようになったという。 と、いうことで・・・30日にではないが、一昨日、仕事で行った先の岡崎市の上地八幡宮で一足早く、大祓えを行ってきた。 ![]() この上地八幡宮、初めて訪れたのだが・・・立派な由緒を持つ神社。 神社の由緒書きによれば・・・ 『昔、当宮の神様は、この地の郷士「大見藤六」の屋敷に隣接した小さな祠(ほこら)に祀られていました。 元暦元年(西暦1184年・平安時代末期)源頼朝の弟、源範頼公が平家討伐に向かう途中、藤六の屋敷で休息した折、範頼公が屋敷の隣にある祠を見付け、この祠は何の神様をお祀りしている祠かと藤六に尋ねました。 藤六が「八幡宮がお祀りされております」と答えると、範頼公は八幡宮は私の氏神であり守護神であると喜び、その祠に祀られていた八幡神に日頃の御礼を申し上げ、戦勝の祈願をされました。 範頼公は「私がこの戦で勝利を収めることができたのなら、ぜひとも、この小祠を立派な社殿に建て替えさせて欲しい」と言い残して戦に向かいました。 勝運の守護神・八幡宮の御神徳により平家との戦に勝利し範頼公が三河の守護に命じられると、建久元年(西暦1190年・鎌倉時代初期)範頼公は立派な社殿を造営し、祠に祀られていた八幡宮と鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を合わせてお祀りされたのが当宮です』 これはすごい・・・源氏の覚え目出度き神社だ。。。(驚) 鳥居をくぐると拝殿の前に設えられた茅の輪が見えてくる。 ![]() 早速、茅の輪をくぐる。。。 毎年茅の輪をくぐりに行くときに、確認して思い出す「水無月の 夏越の祓いする人は 千歳の命 のぶというなり」という古歌を唱えつつ、左まわり・右まわり・左まわりと、八の宇を書くように三度くぐり抜ける。 ![]() これは・・・神主さんにお祓いしてもらう時の ∞(無限大) の動きと同じだ。 (詳しくは・・・ここを参考に → 茅の輪くぐりってなに?) 無限大パワーでお祓いしてもらった後、拝殿に進み、参拝する。。。 “祓い給え、清め給え、守り給え、さきわえ給え・・・”と。 そして、拝殿左脇の形代を袋から出して身体を撫でて・・・良くなるように顔や頭も撫で(笑)・・・三度息を吹きかけた後、初穂料と共に袋に戻し、箱に収めた。 ![]() よし!夏越しの大祓え・・・バッチリだ!( ̄ー ̄)b ふと見ると・・・拝殿右脇に七夕用の短冊が! “ご自由に”ってことなので・・・何年ぶりかの七夕の短冊なるものを書いた。 ![]() 短冊を、拝殿に向かって左側の竹に結んだ。 ![]() 上(↑)の写真の、チラリと見える黄色い短冊の横の鶯色の短冊が私の短冊! しっかり、夏の大祓え&七夕短冊の祈願が出来たぞ! っと、大満足で、境内を歩いていると・・・なにやら祀られている謎めいた石を発見! 「唸石」だと書いてある。 好奇心をくすぐられて近寄っていって、由緒を読んでみる。 『元は上地町の東北約3kmにある大谷坂にあり、夜になると、地を這うような、山を震わすような唸り声が響き、山を越える旅人を恐れさせたそうです。 しかし唸り声を聞いた旅人に災難が降りかかることはなく、むしろ旅を安全に終えられたということで信仰されるようになり、「唸るのは何かを伝えたいのではないか」と考えられ、石を掘り出されて氏神である上地八幡宮へ移してお祀りすると、唸り声を上げることがなくなったという』 とある。。。 ![]() その後、旅の安全を護ってくれる石として祀られ・・・旅に出る際、この石の脇の白い小石を 旅の御守 として持って行き、無事に戻ったお礼に訪れる時に石を元に戻す・・・ということになっれいるらしい。 なかなか面白い。 私も長旅に出る時などに 白い石 を御守りとして持たせていただこうかと思ったりした。。。 上地八幡宮・・・たまたまネットで見つけて訪れたのだが・・・神様のお導きで、と思えるような充実した参拝をさせていただけた。。。 普段の生活が、決して清く正しいばかりではない私・・・。 だからこそ、こうして大祓えなどちゃんとすると、妙に安心したりする。。。(笑) この記事を読んで思い立った方がおられましたら・・・茅の輪くぐりを催している最寄の神社で・・・∞パワーので半年の祓いをして、明日より、清い心と体で今年後半に臨む心構え整えませんか? **この記事に何か感じるところがございましたらクリックいただければ幸いです** ![]() |












































の画像の左端の 「リップル」 が一番気に入ったとのこと。

これです!





























